「はい‥‥いえ、そんなことないです」

受話器からは、申し訳なさそうな男性の声がする。
ちょっと渋めで、映画の俳優さんみたいだ。

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

私はいつもの癖で、誰もいない空間に頭を下げた。

軽いため息と一緒に、受話器を戻す。

「いよいよ、明日かぁ‥‥」

カレンダーを見ると、もう11月も終わろうとしていた。





「国府津行き、ドア閉まりますご注意下さい」

発車のベルが鳴り終わり、ホームにアナウンスが流れる。

「あぁっ、まっ待ってぇ‥‥‥」

キャスターがついていても、スーツケースは重たかった。
散々迷って、持ってくる物を減らしたっていうのに、
今日出かけにお母さんが渡したおみやげが仇になったみたいだ。

手間どる私をあざ笑うかのように、電車のドアが閉まる。
ふしゅうと電車は一呼吸すると、ゆっくりとホームを出ていく。
私は脱力しながらそれを見送るしかなかった。

「次は‥‥‥20分後?」

デジタル時刻板にはそう書いてあった。

「もぅ‥‥‥」

悪態をついても電車は引き返してこない。
降りた人もほとんど改札にいってしまい、ホームには私以外に
ぽつぽつとしか乗客はいない。
私はまたこの重い荷物を持って階段を上って、降りるという
事をしたくなかったので、ちっょと寒いけどホームで待つことに
する。
それにまた乗り損ねたら、立ち直れそうにない。
今度は余裕を持って乗るということを決心した私は、
とりあえず、自販機で温かい物を買って暖を取ることにした。

「冷たっ‥‥‥」

座席に座った瞬間、腰が浮く‥‥‥
プラスティックの座席は、飛び上がるほど冷えていた。
座って自分のお尻で温めようって気にもならない。

「あ~ぁ‥‥」

紅茶をすすりながら、これから先が思いやられそうだと思った。





今はほとんどといっていいほど、親類の集まりがないけど、
子供の頃は、結構多かった気がする。
彼と出会ったのは、小さい頃の親戚の集まりの時‥‥‥
そのころ私の家は藤沢にあって、司ちゃん家から近かった。
でも相模のおじさまは、なかなか親戚の集まりに顔を出さなかったから
司ちゃんも、他の親戚の子たちと馴染みが無かった。

私は、お母さんから色々教えて貰ってたし、親戚の顔と名前を覚える
のが楽しかったから、話で聞いてた司ちゃんと会えたのは嬉しかったけど、
彼は親たちの話にも参加できず、他の子供同士で遊ぶにもお互い人見知り
してしまい孤立していた。

私は何か可哀相だと思い、つまらなさそうにお座敷の隅に居る彼に声を掛けた。

それから私たちは裏庭で遊ぶことにした。
他の親戚の子が片づけ忘れたボールが転がっていたので、それで
遊ぶことにした。
そのころの私は結構おてんばだったので、投げたり蹴ったり、キャッチボールを
しようと言った。
つまらなさそうにしてた彼は、なんかそれで元気になったらしくて
楽しそうにボールを蹴っていた。

その時、彼は私の名前を知らなかったみたいで、ねえとか
あのとかでしか呼んでくれなかった。
だから、私は凪沙よって教えたんだけど、最後まで名前を呼んで
もらえることはなかった。





それから数ヶ月後。
また司ちゃんに会う機会があった。
でもその機会を境に、疎遠になりそうな状況でもあった。
お父さんの仕事の都合で引っ越すことになったのだ。
司ちゃんはお母さんと一緒に、荷造りの手伝いをしに来てくれた。

子供にはお皿とか調度品とか難しい梱包は任せて貰えない。
だから私は自分の部屋の大まかな物が終わったら、とたんに
暇になった。

私は、手持ちぶさたでいる司ちゃんを誘って外に出た。
まだ梱包されていないボールを出して、2人でまた裏庭の方へ行く。
そこで、またボール遊びを始めた。

「離れちゃうね‥‥家」
「うん‥‥‥」
「結構遠くなんだって」
「そっか‥‥」

2人の間を行き来するボール。
でも、あんまり勢いがなかった。 それに司ちゃんも、なぜか元気がなかった。

「やだな‥‥友達と別れるなんて」
「うん‥‥‥」

どうしちゃったんだろう‥‥
しんみりしたくなかった私は司ちゃんの様子が気になった。

「ねぇ、どうかしたの?」
「ううん‥‥‥別に‥‥」
「元気出してよ!!」

私はその時はちょっと気のきいたやり方だなって思ってた。
思いっきりボールを蹴って、司ちゃんにパスをする。

でも、ちょっとぼうっとしていた司ちゃんは反応できず、
顔に当ててしまい、彼を泣かしてしまった。





「今は2年生か‥‥‥‥」

一番楽しい頃‥‥そんな頃に、1人で家の面倒まで見なきゃいけないの
は大変だ。

そういえば、彼と最後にあったのはいつだろう?
入院してるときに、お見舞いに行ったとき以来かな‥‥
私の中の司ちゃんは、大人しくてちょっと引っ込み思案だった。
入院しているときは、ホント大丈夫かなって思えるほど憔悴してたから。

でも、無事に退院して、それからは元気にやっているとおじさまから
聞かされている。
部活もしてるみたいだし、たくましくなってるのかな‥‥
今から会うのが楽しみだ。

でも、私が家の世話をするっていう事をどう思ってるだろう?
年頃の男の子だから、ちょっと嫌がっちゃうかな?

ま、でも、引き受けた以上、今から帰るわけにもいかない。
昔みたいに、楽しくできたらいいなって願うばかりだ。

「間もなく、熱海行きの電車が参ります‥‥‥」
「よしっ」

さめかけた紅茶を飲み干すと、私は乗降口の印が描いてあるところまで
移動した。

小さく警笛を鳴らしながら、電車が入ってきた。
車両が勢いよく、通り過ぎる。
一瞬遅れて突風が吹きつけ、私の髪が大きく舞った。





「ゴメンなさい、ホントにゴメンね」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

顔を真っ赤にして、何も言ってくれない司ちゃん。

引っ越しの片づけも大方終わり、彼はおばさんと帰ろうとする。

「いいのよ、男の子なんだから」

おばさんは、司ちゃんの頭を撫でながら私を慰める。
でも、最後の日に‥‥‥こんな時に、私は司ちゃんに酷いことを
してしまった。
最悪だ‥‥
こんな終わり方なんて。
私はこみ上げてくる物を我慢しながら、司ちゃんにボールを
渡した。

「これ‥‥あげる」
「ありがとう‥‥‥」

そういうと、彼は素直にボールを受け取ってくれた。

「それじゃ、向こうでも元気でね‥‥」
「‥‥‥あ‥‥‥」

おばさんは私にそう言うと手を引いて司ちゃんと帰っていく。
私はのど元まで出かけた言葉を、彼の背中にいえなかった。

でも‥‥‥

「また遊ぼうね」

ボールを胸で抱きながら、司ちゃんは振り返る。
私はびっくりした。
照れくさそうに、でも司ちゃんは私の方を見て笑ってくれた。

「うん‥‥約束‥‥‥やくそく‥‥だ‥か‥‥‥」

私は最後までいえなかった。
今まで我慢してきた涙が‥‥ぼろぼろとこぼれ落ちたから。





「さてと‥‥」
後ろ手に引いているスーツケース。
キャスターがアスファルトの上でごろごろという。
藤沢に着いた頃には、日は傾きすっかり夕方になってしまった。
久しぶりの街に、戻ってきたという感覚はあったけど、だいぶ辺りの
様子は変わってしまっていた。
小さい頃にあったお店が、別のお店になっているのを見るとちょっと切ない。
私はうろ覚えの記憶を頼りに、司ちゃんの家に向かった。
こんな時間だから、司ちゃんはもう帰ってるかしら?
それとも、友達とご飯食べてたりしてるのかしらとか、
念のため連絡しておけば良かったと後悔した。
でも、そんな杞憂はすぐ無くなった。

昔から変わらない場所に、司ちゃんの家はあり。
背の高い男の子が玄関前に立っていた。

「あ‥‥しまった‥‥買い物‥忘れてた」

そんな独り言が聞こえてくる。
‥‥声変わりしたんだ。

「っ‥‥食いモンとか残ってたかな‥‥」

ふぅん‥‥すっかり男の子しちゃってるんだ。
彼のそんな物言いに、私は微笑ましくなると同時にちょっとした悪戯心が
芽生えてきた。

後ろからこっそりと近づく。

わっ! って、驚かそうと思ったけど、
独り言を言いながら困っている司ちゃんが、あんまりにも可愛くて、
つい笑ってしまった。

「ふふっ」
「んっ?」

びっくりして振り返る司ちゃん。
引き締まった身体に、ちょっと精悍な顔。
小さい頃遊んだ司ちゃんは、カッコいい男の子になっていた。

「相変わらずのようね、司ちゃん?」
「あ‥‥あれっ? えっ、えっと‥‥‥」

私が誰かわからないのかな?
ん~ちょっと残念‥‥‥私は1目でわかったのになあ。
でも、気を取り直して‥‥

「お帰りなさい」

私はもう少し、この状況を楽しもうと思った。



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