ここに通うのは、もう何度目になるんだろう。
 そんな事を考えながら足音を立て、鉄製の階段を一歩ずつ上っていく。

 楓がこのアパートに住み始めて、もう1年が経った。
 なんでもアルバイト先の寮らしいんだけれど……。
 お世辞にも、あまり良い場所だとは思えない。
 だって……耳を澄ますと、たまに変な声とか聞こえてくるし。
 こんなに朝早くから……なにをやってるのかしら。
 まったく、もう。

 ここに来る度に、いつも思う。
 やっぱり私は、楓の事が好きなんだわ。
 楓がいるから、あまり来たくないような所に来たりもしている。
 朝起こしに来たり、おかずを持ってきたりしている。
 こういうの、押しかけ女房って言うのかしら。
 ……なんて。

 でも、そう考えるたびに、もう一人の自分が否定をする。
 それは弟に対する“好き”なのよ。
 弟を心配するのは当たり前でしょう?
 だらしない弟を管理するのは、姉の役目なのだから……って。
 それに、今までそういう経験がなかったから、錯覚をしているだけ。
 弟のような彼を、そういう感情の代用にしているだけなのよ。
 うん、そうだわ。きっとそう。

 ここを通るたびに、いつもそんなことを考えてしまう。
 ここを通るたびに、いつも二人の「私」が衝突する。


 楓とは……昔から、ずっと一緒だった。


 はじめて会った時、私はまだ幼くて。
 楓のことが、すっごく嫌いだったのを覚えている。

 ある日突然、家にやってきた男の子。
 お母さんの友達の子供。
 そしてこれから、同じ屋根の下で暮らすことになる子。

 初めて会ったあの時から、楓は優しかった。
 当然、あの頃からぶっきらぼうでもあったけれど。
 でも若葉を泣きやませることだって、私なんかより、よっぽど上手だった。
 それで……なんだか妹をとられちゃったような気分になって……。
 何度も何度もケンカして、その度にお母さんに怒られたっけ。

 でも……あの日。
 お母さんが死んじゃって、私も一緒に死んじゃいたいくらい悲しかった時。
 楓は、私の側にいてやるって言ってくれた。
 私の投げた時計で、おでこに怪我をしてしまったのに。
 それでも私の側にいてくれた。
 守ってやる、って、言ってくれた。
 町内会の旅行の時もそう。
 風邪を引いて一人で留守番をしていた私の所に、楓は途中で戻ってきて。
 ずっと、私の側にいてくれた──


「いたっ……〜〜〜〜〜〜!」
 ゴンッ、という音と鈍い痛みで、我に返った。
 どうやら、歩きながら昔を思い出していて、ドアに頭をぶつけてしまったみたい。
 おでこを押さえながら見上げてみると、そこは楓の部屋。
 ……なんだか、楓に笑われてるような気がした。
「も〜……誰のせいでこんなに悩んでると思ってんのよ……楓! 起きなさい!」
 ポケットから合い鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。
 そして私は楓を起こすため、声を上げながら部屋の中に入っていった。
 あーあ、今日も結局、いつも通りかぁ……。


「歯磨いた? 顔洗った?」
「あー、磨いた洗った」
「宿題は終わってる?」
「小学生か俺は。んなもんねぇよ」
「まったくもぅ、ホントにだらしないんだから……それじゃ、ちゃんと大学行きなさいよ!?」
「へいへい。んじゃな、桜子」
「あ、ちょっと、もぅっ…………バカ楓」