「はい、お疲れ様。これはいつものね」
「サンキュ。ったく、相変わらず人使いの荒い職場だな」
「でも、やり甲斐はあるでしょう?」
「……まぁな」
他愛ない言葉を交わしながら彼の正面の席に座り、トレイを二つ置く。
それはいつもと変わらない、ごく当たり前の風景。
悪友にアルバイトを手伝ってもらって、そのお礼にファーストフードをおごる。
たったそれだけの、いつもと同じ光景。
だけど私の心は……いつものそれではなかった。
いつからだろう。
私の頭の中が、彼のことで一杯になってしまったのは。
ある日突然、彼がいた。
高校時代、“親友”と書いて“天敵”と読んだ、クラスメートの隣に。
それで興味が沸いて、近づいたのが最初だったと思う。
彼女の性格上、絶対に面白い反応をしてくれることは、わかっていたから。
少しからかってやろう。
それだけだったはず。
なのに……気が付いたら。
寝ても覚めても、彼のことばかり頭に浮かぶようになってしまった。
いつの間にか、彼のことを忘れられなくなっていた。
ミイラ取りがミイラになった、と言うべきかしら。
「どうした? ボーっとして」
ふ、と顔を上げてみる。
そこには、ポテトを摘みながら私を見ている、彼の顔。
大学内ではいつも、からかったり、からかわれたり。
そんな関係がずっと続くと思っていたのに。
「あー……俺の顔になんかついてるか?」
「えっ? あ、いえ、なんでもありませんっ」
指摘されて、慌てて下を向く。
でも思考は止まらない。
一度考え出してしまったそれは、私の意志を離れ、どんどん膨らんでいく。
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やっぱり私……彼のことが……
「〜〜〜〜〜〜っ! と、とても耐えられたものではありませんわっ」
ペンを走らせる手が止まる。
次の瞬間、私は原稿用紙をクシャクシャに丸めていた。
文章の練習とはいえ、これは流石に恥ずかしすぎたらしい。
思わず机にうなだれてしまう。
「はぁ……うまく行きませんわね、やっぱり」
本当に、文章を書くというのは難しいですわ。
「物を創るということは、自分の“何か”を切り売りする事……でしたっけ」
小説なら、さしずめ人生の切り売り。
編集長は確か、そう仰っていたけれど。
人生……人の生き様。
私がこの世に生まれ、様々な体験をして成長してきた、その系譜。
「私にはまだ、切り売りするほどの人生が無いのかもしれませんわね」
私は、経済的に裕福な家庭に生まれた。
でもそれが、必ずしも幸せに直結するとは限らない。
……不幸だったわけでもないけれど。
でもそれは、受動的で、退屈な日々。
そこから抜け出るために、アルバイトをはじめた。
ただそこに存在し、生きていくだけではなく、自分自身を創りたい。
絶えず何かに向かっているような、そんな充実した人生を送りたい。
老いて死ぬ直前に「ああ、楽しかった」と笑って言えるくらいに。
そう思い始めてまだ二、三年だから。
私はまだ、切り売るほどの人生を持っていないのかもしれない。
今は人生を“創っている”最中だから。
だから良い小説が書けないのかもしれない……。
「って、それでは駄目なんでしたわ。明日中に編集長にお見せしないと、認めてもらえませんものね」
ゆっくり身体を起こし、クシャクシャに丸まった原稿用紙を広げる。
そして私は、この話を書き上げるため、再びペンを取った。
今のこの瞬間も、後に私の人生となるのだから。
ここで止まってはいけないのだから。
それにしても恋愛小説って……
これではまるで、あの人の事を書いているみたいですわね。
どこからどう見ても……楓さんと私の話ですわ。
人生の切り売りですから、どこかで自分自身を反映してしまうのは仕方がないことなのでしょうけど……。
「桜子さんに見せたら、ものすごく動揺するんでしょうね……ふふ」
それも面白いかもしれない。
でもまずは───書き上げないと。
あとで振り返ったとき、後悔をしないように。
今はただ、ひたすらに、前に進んでいこう。