11月27日 AM 7:50


「おはようございますー」
「あぁ、おはようございます」

病院前。
看護婦が門横にある掲示板の側にたたずむ1人の学生に
声を掛ける。

看護婦は軽く会釈すると、そのまま病院内へ入っていく。
声を掛けられた学生は、もう一度掲示板に目をやった。

「ふむ」

メガネの奧の瞳が、少しだけ優しくゆるんだ。





10月 20日 PM3:47

「おはようございまーす!」

スタジオに入るとき、私は元気良く声を出して挨拶をした。
馴染みのスタッフさん達が、作業の手を止めて声を掛けてくれる。

準備中のセットの合間をぬけて、打ち合わせ用のテーブルの所へ行く。
ジュースやお菓子、サンドウィッチなどの軽食が置かれたテーブルには
マネージャーのアイさんがいた。

「あら、おはよう」
「おはようございます」
「なに? 学校から直接来たの?」
「はい、家に帰る時間、無かったんで」
「そう‥‥ご苦労様」

そう言いながらアイさんは、ポットから紅茶を注ぎ渡してくれる。
アイさんは事務所の先輩でもあり、昔はモデルもしていた。
スタイルも崩れていないし、現役のモデルさんよりも見栄えが良い。
年はまだ20代後半、今でも充分現役でやっているけるのに、
本人は後輩を育成したいと、裏方に廻ることを望んだのだった。

私とアイさんは実は昔からの知り合いだった。
初めて子供服のモデルをしたときに、父から紹介されたのだ。
大人ばっかりの仕事場で、怖くて泣いてたときに、色々と構ってくれた。
それ以来、友達みたいにつき合うようになった。

「今日もお肌すべすべねっ」

悪戯っぽく私の顔をのぞき込むアイさん。

「それも仕事ですから」
「かったいなぁ‥‥‥そういうときは、調子がいいんですって
言うものよ?」
「はぁ‥‥」

私がモデルになろうって決めたときから、いろんな事をアイさんに教えて貰った。
アイさんがモデルを引退するって言ったとき、凄く私の中で衝撃が走った。
私は彼女みたいな、モデルになりたかったから。
でも、引退してからも、私のことを気に掛けてくれた。
まだまだ駆け出しの私に、的確なアドヴァイスもくれる。
今の私に出来ることは、アイさんから教えて貰ったことを吸収して、
ちゃんと独り立ちできることだ。





遠い過去 5月17日 PM8:23


「お母さん、遅いね」
「そうだな‥‥歩、お腹空いたかい?」
「ううん‥‥まだへーき」
「そうか‥‥‥」

お父さんが頭を撫でてくれる。
ホントはすっごくおなかが減ってた。
でも、お母さんと一緒に食べたかったから、お腹が鳴らないように
我慢していた。

テーブルの上には、私が大好きな「みるふぃーゆ」が置いてある。
その他にも、オレンジジュースとか食べ物がいっぱい。
時計の針が一周したけど、お母さんはまだお仕事から帰ってこない。
お父さんと2人で、じっと待っている。

「よし、じゃあ先に食べようか」
「だめっ! お母さんが一緒じゃなきゃ、や!!」
「お父さん、お腹が空いて倒れそうだよ」
「がまんしてっ、もうちょっとだから」
「わかったわかった‥‥‥」

お父さんはポケットから筆箱みたいな物を出す。

「じゃあ‥‥えらい歩にお父さんからプレゼントだ」
「えっ‥‥」

箱のふたが開き、なかには首飾りが入っていた。

「お誕生日おめでとう‥‥‥歩」
「ふぁぁぁっ、ありがとうお父さんっ」
「うん‥‥似合ってるぞ」

鏡の前に連れてこられて、改めて見てみると、
四つ葉のクローバーみたいな飾りが胸の辺りできれいに
光っていた。

「きれい‥‥」
「ああ、歩はいつもいい子にしてるからな、特別なものだよ」
「お父さん、ありがとう! 私大事にするね!」
「今度はそれをつけて、母さんが作る服のモデルになってくれよ」
「うん! なる! 私お母さんの服のモデルになる!」
「よしよし」

お父さんは私を抱き上げて、くるくる回った。

嬉しい‥‥こんな誕生日は今まで無かった。
あと、お母さんが居てくれたら‥‥‥

「よっと‥‥‥」

お父さんは私を下ろして、のぞき込むようにしゃがんだ。

「歩‥‥」
「なあに?」
「まだ、早いかもしれないが‥‥‥」
「んっ?」
「もしお前に‥‥‥」


それが遺言になるなんて、その時の私には想像なんて出来なかった。






10月 20日 PM4:11


「み‥ちゃん‥‥‥」
「あ、はい!!」

アイさんから、肩をゆすられ私は飛び上がるように立ち上がった。

「そろそろ、着替えてらっしゃい」
「‥‥はい、わかりました」
「お疲れのようね」
「いえ、居眠りしてすみません」

することがなかったせいか、あたしはちょっと意識が飛んでたらしい。
更衣室に割り当てられている部屋に、今回の衣装を持っていく。

「さてと‥‥」

ハンガーにコートや制服を掛けて、しわにならないようにする。
下着だけになり、鏡で全身をチェックする。
とりあえず、お肉はあんまりついてない。
背中を向けて、後ろも確認‥‥
アイさんの台詞を借りるとしたら、ぴちぴちしてるって言うらしい。
いつも付けている首飾りが鏡に反射してきらりと光る。

ま、今回の衣装はあんまりスタイルは関係なさそうだけど。
清潔感を感じさせる色遣いのセーターを私はかぶった。


「可愛いわ、歩ちゃん」
「からかわないでください」
「やーね、素直に受け取っときなさい」
「ま、アイさんには厳しい服装ですけどね」
「あ、いったなこのぉ」

そんな軽口を交わしながら、私はもう一度ざっと全身をチェックする。
とりあえず、乱れはない。
お化粧のノリもいい。

カメラさん、スタイリストさん、メイクさんにもチェックして貰い
簡単な打ち合わせが行われる。
今日の仕事は、「献血のポスター」。
清純なイメージで行きたいと説明されているときに、アイさんは1人
肩をふるわせ笑っていた。

「じゃ、おねがいしまーす」

清純ってどんな感じだろう。
私はクラスメイトを思い出して、その子のイメージを体で現す。
そう言えば、帰国子女の彼女は清純そうだったな‥‥

ストロボが瞬き、カメラの操作音がスタジオに響き渡る。

何度もポーズを変え、目線を控えめに送る。
スカートを静かに翻したり、優しく微笑んでみたり。
カメラさんの指示に従って、ポーズを決めていく。

「歩ちゃん、もっとブリっ子してっ」
「ええっ?」

アイさんの指示?で、私は思いつくポーズを取った。
ちょっとうるうるしたり、しなを作ってみたりと‥‥

「あははは、歩ちゃんサイコー!」
「もぅっ!! 笑わないでください!!」

スタッフの間から漏れる失笑‥‥‥‥
カメラさんも、しゃがみ込んで笑っている。

「やりすぎだって‥‥全然歩ちゃんのキャラじゃないじゃない」
「だって‥‥‥ブリッ子なんて‥‥」
「もっと優しくなって‥‥‥献血してあげようって気持ちで」
「はいどうぞって感じですか?」

私はやけになって、腕をつきだし注射しやすいように見せる。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

今度はスタジオ中で爆笑が起きた。





遠い過去 6月3日 PM3:55


「疲れたかい?」
「ううん‥‥‥へーき‥‥」
「頑張ったな、歩」

お父さんが誉めてくれる。
それだけで私は凄く幸せな気分になる。

今日はお洋服を着て写真をとってもらった。
いっぱいいっぱい、パチパチと写真をとってもらった。

「あ、歩ちゃんおつかれさまぁ」
「こっ‥‥こんにちは‥‥‥」
「はい、こんにちはっ」

あいさんは、お父さんとお母さんの知り合い。
今日は一緒に写真をとってもらった。

「歩ちゃんっ今日もよかったよ」
「うん‥‥‥」
「歩ちゃんの笑顔見てると、なんか幸せになれるなっ」
「幸せ?」
「そうだよ、歩の笑顔は幸せを分けてくれるんだ」
「ホント?」
「そうだよ、歩」

お父さんはまた私の頭を撫でてくれた。
今日はなんて良い日なんだろう‥‥
幸せを分けてあげる‥‥‥‥
こんな素敵なことはない。
私が笑ったら、幸せになれる人がいるんだ。
なんだかわからないけど、凄く嬉しくなった。






10月 20日 PM4:20


「落ち着いた?」
「落ち着くのは、そっちでしょ?」

私は乱暴にアイさんの手から紙コップを奪い取った。
冷たいジュースぐらいじゃ、興奮した気持ちを抑えられない。

「歩ちゃん、バカ正直すぎよっ。ま、アレはアレで面白かったけどね」
「もう‥‥‥」

アイさんはさっきから、からかってばかりだ。
本気で怒るのもばかばかしいので、私は紙コップに八つ当たりをした。

「歩ちゃんの笑顔、もうチョット別な形で出してあげたらいいのよ」
「えっ?」
「このポスターの飾り文字って”あなたの優しさをわけてください”だって」
「‥‥‥あなたの‥‥やさしさを‥‥」
「さっ、撮影再開よっ」

アイさんに背中を押されながら、私はカメラの前に立つ。
なんだかんだ言って、私を長くずっと見てきてくれたアイさん。
いつも、困ったときにはヒントを貰う。

(優しさをわけてあげる‥‥)

それで、沢山の人が幸せになれたら‥‥‥

そう願う‥‥気持ち‥‥‥‥

私の笑顔で‥‥‥そんな気持ちになってもらえたら‥‥

ファインダー向こう側にいる人へ‥‥私はその思いを届けようと思った。





10月 20日 PM6:43


「お疲れ、歩ちゃん」
「お疲れさまでした」

スタジオをでたら、アイさんが待っていた。
携帯をぱちんと閉じると、私の方にやってくる。

「最後の‥‥よかったわ」
「は、はぁ‥‥ありがとうございます」
「歩ちゃんのいいところは、気持ちの切り替えが素早い所ね」
「そうでしょうか?」
「いいのよ、たまに違う方向に向かっちゃうこともあるけどね」
「もぅ、それは言わないでください‥‥」

2人並んで、駅の方へ向かって歩き出す。
こうやって、撮影後のフォローまでしてくれるアイさんに、
私はいつも助けられていた。

お姉さんが居たら、こんな感じなんだろうか‥‥‥
そうだとしたら、私はすごく生意気な妹だろう。

「でもよかった‥‥‥」

ひとしきりの反省会が終わった後、アイさんはぽつりと言った。

「ちゃんと笑えてる」
「えっ‥‥‥」
「もっと笑ってさ‥‥‥幸せな気持ちをみんなに伝えてね」
「アイさん‥‥‥」

そう言うと、アイさんは後ろ手に手を振りながら、駅の雑踏へ消えていった。

「幸せな気持ちを‥‥‥」

どこかで‥‥それに似た言葉を聞いた気がした。
そしてその言葉が私の胸を熱くさせることも、うすぼんやりと
思い出す。

その言葉をくれたのは‥‥‥誰だったのか。
今は、もう思い出せない。

でも、私がモデルの仕事を始めた頃に、聞いたような‥‥そんな感じがした。

「さてとっ」

重い鞄をしょい直すと、胸元の首飾りが揺れた。


今日も、見てくれてた?


仕事の終わりに、いつも報告する。
‥‥お父さんがあたしにくれた最後の物。

子供の時、いつも安心してモデルの仕事が出来たのは、カメラの向こうから
微笑んでくれるお父さんのおかげだった。

もう、今は微笑みかけて貰えない‥‥‥
だから今度は私が‥‥‥‥
天国にまで、その気持ちが届けば‥‥‥

お父さんがくれたものを、今度は私がみんなにわけてあげるね。

四つ葉のクローバーを握りしめると、ほんのりと温かかった。



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