「未緒ー、ちょっと来て」
「ん? なーに、おかーさん?」

早朝7時12分‥‥‥
トーストを紅茶で飲みこんでいるときに、私は呼ばれた。
いつの間にかキッチンから居なくなったお母さんの声が、外から聞こえてくる。

「‥‥何してんの?」
「未緒、準備は出来た?」
「出来てるけど‥‥‥あ‥‥‥」

靴をはいて外に出たら、お母さんは自分の自転車(MTB)を拭いていた。

「‥‥どっか出かけるの?」
「ううん、出かけるのは未緒でしょ?」

お母さんの自転車はちょっと古ぼけていたけど、今でも現役だった。
買い物に行くときとか、散歩とかによく使われている。

「よし、ピカピカねっ」
「古いなりには‥だけど」
「そりゃ私が現役の時から使ってるから」
「それで、今頃自転車磨いて、どうするの?」
「もう、察しが悪い子。」
「?」
「未緒っ、遅くなったけど入学のお祝いよ」
「えっ? ええっ!?」
「前から欲しいって言ってたでしょ、だからあげるわ」
「ホントに? いいの?」
「新しく買って上げられなくてゴメンなさい」
「ううん、いいよ! うわぁ~ありがとう、お母さん」

お古だけど、私は嬉しかった。
小さい頃から、母親が大事にしていた自転車。
颯爽と走る姿に憧れもした。
それが、今日から私の物になるんだ。

「ねぇ、どういう風の吹き回し?
まさか、これあげるから買い物全部お願いねっ、とかじゃないよね?」
「もう、素直に貰っときなさい」

お母さんは私の頭を軽くこづく。

「‥‥ありがとう」
「ううん、どういたしまして。可愛がってね」
「うん」
「サドル、ちょっと下げた方がいいかしら」
「んしょっ‥‥‥」

私はまたがって、お母さんに高さの調整をして貰った。

「あ、そうだ、これで学校通っちゃおうかな‥‥」
「そうね、ここからだったら近いし、定期代も浮くわ」
「もぅ、お母さんったら」

まるで同級生のように、私たちは笑った。
お母さんは結構いい年いってるけど、なんか見た目年齢不詳で
考え方も柔らかい。
たまに家にいるとき、私の服を勝手に着たり等、まだまだやんちゃだ。
私にとってお母さんだけど、ちょっと年上のお姉さんみたいに感じる
ときもある。

「でも、いいかもしれない‥‥‥」

これからあたたかくなる。
海からの風が気持ちよくなる季節もすぐだ。





「なんだ‥‥せっかく一緒に登校出来ると思ってたのに」

学校前の坂道。
刹那が待っていた。

結局私は自転車で学校までやってきた。
今日は入学式だけだし、自転車通学の感触を確かめるには丁度良かった。

「もっといい学校に行ったかと思ってた」
「いやいや、幼なじみって設定が活かされるのは、これからだしな」
「は? 何言ってんの?」
「ま、これからもよろしく頼むよ」
「‥‥‥アンタわざわざそれいうために、待ってたの?」
「はっはっは、それはどうかな」

朝っぱらから、濃いヤツに会うなんて‥‥‥
いままで同じ学校に通ってたっけど、そこまで仲は良くなかったはずだ。
でも会うたびに、おかしな事を言われる。
ま、変なヤツでも知り合いが1人もいないよか、マシかも‥‥
と考えながら、私は自転車を押して坂を上る。

「ずいぶん年季の入ったものだな」
「うん、お母さんに貰ったんだ」
「ほぉ、それはいいな」
「でしょ?」

新しい制服と違って、ちょっと古い自転車。
この登校風景に自然ととけ込んでいた。
私は、ますますこの自転車が気に入っていった。





‥‥‥1年後。

「あ‥‥相模君‥‥今帰りなんだ」
「ああ‥‥一ノ瀬もか?」
「うん」

今年からのクラスメート、相模君‥‥‥
ちょっとぶっきらぼうそうに見えるが、話せば結構
楽しい人だった。

「そっか‥‥‥」

それ以上会話もなく、私は相模君の後ろを自転車を押しながら
ついていく。

「そんじゃ、また明日ね」
「ああ‥‥‥」

学校の坂を下りきりると分かれ道‥‥
相模君は電車、私は県道を自転車で帰ることになる。

自転車にまたがろうとしたとき、相模君が声を掛けてきた。

「毎日‥‥自転車なのか?」
「うん、そうだけど」
「‥‥大変だな」
「そんなことないよ、小回り効いて便利だし」
「そっか‥‥」

そこで、何かを考える風に視線を泳がせる。

「どうしたの?」
「あ、いや‥‥‥今度‥‥乗っけてってくれ」
「えっ‥‥‥」
「小回り‥‥効くんなら、ちょっとな‥‥‥」
「うん‥‥‥わかった」
「じゃあな‥‥‥」
「うん、バイバイっ‥‥‥‥」

そうして私たちは別れて、それぞれの帰路についた。





それから数日後。

追い風にのりながら、私は海岸沿いの道路を走っていた。
ペダルを漕ぐのをやめて、滑走する。
まだちょっと風は冷たいけど、部活後のほてった体には心地よかった。

「ん?」

海沿いから町内に入る道を曲がると、うちの制服を着た男の子が1人
見えた。
それはうちのクラスの‥‥‥

「相模君?」
「‥‥‥ん? ああ、一ノ瀬か」
「何してんの?」

相模君は電車通学なのに、何でこんな所を歩いていたんだろう‥‥
私は自転車をのろのろと漕ぎながら並ぶ。

「定期でも忘れたの?」
「ンなんじゃねぇよ」

あたしの軽口に、嫌そうに返す。

「んじゃ、どっか行くの?」
「ああ‥‥‥‥」

また、なにか考えるような視線をする相模君。

「一ノ瀬、ちょっと乗っけてってくれ」
「え?」
「すぐそこまでだから」
「えっ、ちょっとちょっとぉ?!」

私の自転車の後輪には、立ち乗り用の台もついている。
相模君は私の肩を掴みながら、そこに乗ろうとした。

「わっ?! あっ、ちょっとぉ!!」

スピードが出てないのに、男の子1人分を支えるほどの力はない。

「うわっ!!」
「きゃっ!?」

!!

自転車ごと倒れる前に相模君は飛び降りた。
私はしりもちをついてしまう。

「もぅ!! 何すんのよ!!」
「ワリイ‥‥‥ケガしてないか?」
「スカート汚れちゃったよ‥‥」

相模君は手を貸してくれたが、それを無視して
ぱんぱんとスカートをはたきながら、私は立った。

「ちょっとぉ‥‥‥どういうつもり?」
「ゴメン‥‥やっぱ無理か‥‥‥」
「んぅぅ‥‥‥‥」

相模君的には、軽くちょっと乗せてもらうつもりだったらしいが、
私には無理だったみたいだ。
相模君の手が私の肩に触れたとき、何かくすぐったかった。
それに、私はちょっとドキドキしていた。
こんな感じに男の子と接近したことも‥‥余り無かったから。

「俺‥‥漕ぐよ」
「え?」
「俺が代わりに漕ぐから、後ろに乗れよ」
「ちょっと‥‥‥これ、私の自転車だよ?」
「だけど、お前じゃ俺の体重支えられないだろ?」
「そ‥‥そうだけど‥‥‥」
「ほらっ、乗れよ。」
「あ‥‥‥‥‥」

相模君は勝手に話を進めていく。
自転車を起こしてまたがると、軽い調子で乗れといった。

「まったく‥‥‥‥」

私は何か納得いかず、後ろの台に乗った。
相模君の肩は広かった。
遠慮がちに肩に手を乗せると、いきなり自転車が動き出す。

「うわっ!?」
「ちゃんと捕まってろよ?」
「ちょ、ちょっとまってよ‥‥‥‥」

まだちょっとフラフラしているが、ぐんぐんとスピードが出ていく。
スピードが出ると、ふらつきも少なくなり、安定してくる。
力強い‥‥‥相模君は腐っても男の子だ。
私より力がある。

さっき無様に転けたことが無かったかのように、自転車は商店街の方へ
向かっていった。

「ねっ‥‥何で今日は歩きなの?」
「あー?」
「なんで、歩いてたの!!」
「寄り道」
「え?」

そうこういう間に、商店街に入る。
車や人の間を器用にぬけながら、どこかへ向かう私たち。
寄り道って何だろうと色々考えたが、相模君のことは良く知らないので
ちょっと不安になった。

「ついた」
「えっ‥‥‥きゃぁ?!」

急にブレーキがかかり、私は相模君の首に抱きつく。

「ぐぅぅ‥‥はっ、はなせっ‥‥‥」
「もぅ、急に止まらないでよね!!」
「っ‥‥着いたっていっただろ?」

思いっきり締め上げたのか、相模君は涙目になっていた。

「‥‥‥‥?」

私が自転車から降りたら、ハンドルを任せられる。

「サンキュ‥‥‥助かった」
「‥‥‥ここって‥‥‥‥」
「ラーメン屋」

確かに彼のいうとおり、ラーメン屋さんの前だ。

「まさか、寄り道って‥‥‥」
「ああ、腹減ってさ‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

ちょっと古ぼけたラーメン屋さん‥‥‥お店の名前は「万里」
と書いてあった。

「お前も‥‥腹減ってるか?」
「そ‥‥それは‥‥‥」

マンガみたいに私のお腹が鳴る。

「来いよ、乗っけてくれたお礼に半分だしてやる」
「‥‥‥オゴってくれるんじゃないの?」
「ンな金ねーよ」
「もぅ‥‥‥‥」

デリカシーってものが、この男には無いんだろうか。
今日このちょっとした時間で、私は相模君の事が結構わかった。

でも、このまま帰るのもしゃくだ。

「美味しいんでしょうね?」
「さあ?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

全くもって、ムカツク奴だ。
でも、アイツが(半分)おごってくれた、サンマーメンはとっても美味しかった。

ちょっと熱くて、あんかけで舌を火傷しそうになりながらも、
私はぺろりと平らげてしまう。
そんな私を微笑ましく見ていた相模君の顔が印象に残った。





「んじゃな」

と、お礼もそこそこに、歩いていく相模君。

(この男は‥‥‥‥)

「待って‥‥‥」
「んぁ?」
「途中まで送ってあげる」
「え?」
「ラーメン、美味しかったから‥‥‥」
「そっか‥‥‥‥」
「あ! 乗っけるっても、またアンタが漕ぎなさいよね」
「っ、なんでだよ?」
「重いの」
「ったく‥‥‥‥」

でも、相模君は私に代わってハンドルを取った。
意外と素直じゃん‥‥‥
今日一日で、相模君のイメージはだいぶ変わった。
‥‥悪くはない。
こんな奴だったんだな‥‥‥‥

お腹いっぱいで満足して帰る私たちに、追い風がサーヴイスの
用に吹きつけ、ほてった体を冷やしてくれた。





「司ー、もう帰んの?」
「ん、帰る」
「んじゃあさ、万里に寄って帰ろうよ?」
「あ、いいぜ」
「じゃよろしくー」
「ったく‥‥‥‥」

いつも通り、私は司にハンドルを渡すと後部の台に飛び乗る。

「一ノ瀬‥‥たまにはお前も漕げよな」
「事故ってもいいなら」
「バーカ‥‥‥」

いつからだろう、こんな軽口をたたき合うようになったのは。
何がきっかけだったんだろう、私が司って呼ぶようになったのは‥‥‥
こんな風に、私と司はいつの間にか一緒に帰ることが多くなった。
万里によって、店長とだべってラーメンをすする。
そんな放課後の楽しみが、また今日も。

「ほら、スピード出して!!」
「‥‥何様だよ‥‥たく‥‥」

スピード上げて、商店街の中を突っ切る。
向かい風が辛そうだったが、司は頑張って漕ぐ。

「ったく、今日はおごれよな」
「これ、私の自転車」

初めて司を自転車に乗せた日。
最後にあいつは言った。


「良いチャリだな‥‥‥‥」
「相模君も、自転車通学すれば?」
「くれ‥‥このチャリ‥‥」



「ったく‥‥俺が漕いでる方が多くねえか?」

「万里まで、歩かないですむでしょ?」
「くれ‥‥このチャリ‥‥‥」

そう言われるときは、私は決まってこう言う。

「あげないよっ」

お母さんからもらった自転車は、私にいろんなきっかけを作ってくれた。
そして想い出が形として残っていく。
自転車についた傷‥‥‥初めて2人乗りをして転けた時の傷が今では懐かしい。
その痕を見るたびに、私はあの時のドキドキを想いだすのだった。



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