「美馬ーっ! じゃない‥‥‥か‥春日?」
「ん? どうしたの司君?」
「あ、いや‥‥‥」

司君は、なんだか照れくさそうにあたしを呼ぶ。
でも、それは仕方がないかもしれない。
昨日まで、あたしは「美馬美乃(みま・よしの)」だったんだから。

「悪い‥‥」
「ううん、慣れるまでは仕方ないよ」
「そうか‥‥‥‥」
「それで、どうしたの?」
「あ‥‥いや‥‥‥」

そっぽを向き鼻の頭をかきながら、何か物言いたげな彼。
そう、いつもこうやって心配してくれる。
あたしは、司君のそんなところが大好きだった。





「美馬美乃って言います、よろしくお願いします」

ぺこりと頭を下げて、教室を見回す。
見知った顔が、ちいさく手を振ってくれる。
クラスが変わったとしても、いつものんびりと変わりのない日常。
あたしの新学期は、そんな感じで始まった。

そして数日が過ぎ、休み時間。

「手伝おうか?」

クラスメイトの相模君は、次の授業で使う資料を運んでいた。
あたしはちょっと大変そうだなぁと思い、声を掛ける。
でも、相模君の横には鳳君‥‥お母さんが働いてる病院の院長の息子さんがいた。

「ありがとう。でも美馬クン、ここは任せとけ。僕が何とかしよう」
「だったら、見てないで手伝え!!」
「まったく‥‥女子に運ばせるなんて、甲斐性がないな」
「お前なぁ‥‥手伝わねーんだったら、どっか行け‥‥」

相模君と鳳君は最近よくつるんでいて、楽しそうだ。
今も2人でちょっとふざけあいながら、教材を運んでいる。

「あ、落ちそう‥‥ちょっと持つよ」
「サンキュ‥‥」

そう言いつつも、相模君はちょっとしか渡してくれない。
男の子らしい照れ隠しが微笑ましくて、何かいいなって思った。
こうしてあたし達3人は、些細なことをきっかけに仲よくなっていった。





「あ‥‥‥」
「‥‥‥オス‥‥ん? 美馬‥‥お前ここら辺に住んでるのか?」
「うん、そだよ‥‥相模君家ってここだったんだ」
「ああ‥‥ずっとここだ」
「へぇ、気がつかなかった‥‥‥」

夕暮れ時。
相模君が家に入ろうとした時に、あたしは通りかかった。
ご近所さんだなんて、ちょっとした驚きだ。
お家は2階建てで、ちょっと広そう‥‥‥うちとは大違いだ。

「これから、どっか行くのか?」

相模君の視線があたしの手元に向けられる。

「うん、お母さんにね、着替え持っていくんだ」
「着替え?」

あたしは紙袋を上げて、相模君に見せる。

「看護婦さんなんだ、お母さん」
「そっか‥‥‥泊まったりするんだ」
「うん、たまにね」
「じゃあ、家のこと大変だな‥‥」
「ううん、どうせあたし1人だから、何とかなるよ」
「‥‥1人か‥‥」

何か考え込むような顔で、うつむく相模君。

「? どうかした?」
「あ、いや‥‥‥んじゃまたな」
「うん、それじゃバイバイー」

見送られながら、あたしは病院へ向かう。
あたしは、何かいけない事言っちゃったんだろうか?
一瞬表情が曇った彼のことが、ちょっと気にかかった。

そして、それからしばらくして‥‥相模君家も片親だって事を知った。





「美馬‥‥」
「‥‥‥司君‥‥‥‥」

彼はあたし達をいつも名字で呼ぶ。
仲のいい未緒ちゃんだって、ののちゃんだって。
例外は刹那君ぐらいだ。

体育祭も文化祭も終わって、ちょっと落ち着いた頃。
突然話は持ち上がった。
お母さんが、紹介したい人がいるっていきなり言い出した。
病院で仲良くなった人が、退院後挨拶に来たことはたまにあるけど、
今回のはちょっと違うようだ。

なんかあたし達が休み時間に、誰々君がいいねとか、何々先輩が
ステキみたいな感じでお母さんは話す。
お父さんが亡くなってから、もう10年‥‥
お母さんだって、お父さんのことを大事に想っていることは
十分すぎるほどわかってる。
だから、あたしだって反対する理由なんか無い。
このまま2人で暮らしていくことも全然問題はないけど、お母さんに
好きな人が出来たんだったら、考えてもいいと思った。

「寒くないのか?」
「うん‥‥‥」

屋上は朱に染まり、ちょっと冷たい風が吹き付けていた。
学校へ上る坂の由来になったのかなっていうぐらい、
綺麗な色だった。

「んでっ、司君は部活終わったの?」
「ああ、とっくにな‥‥」
「そっか、お疲れぇ」
「ああ‥‥」
「?」

司君は、複雑そうな顔をする。

「ぼーっとして、動かなかったから、心配になった」
「えっ?! そうだった? ゴメンなさい‥‥‥」
「いや‥‥冷えるし‥‥風邪ひくなよ」

それだけ言うと、司君は扉の方へ行く。

「待ってっ‥‥」
「ん?」
「よかったら‥‥一緒に帰ろっ」

教室までつき合って貰い、あたし達は一緒に帰る。
坂道を下り、電車の駅で司君はあたしにコーヒーをおごってくれた。

「ありがと」
「マスターのトコより、不味いけどな」
「いいんだよっ、これはこれで」

あたしがバイトをする喫茶店の常連さんでもある司君は、
ちょっとはにかみながら、自分の缶コーヒーを飲んだ。

何も聞かない‥‥‥でも心配してくれている‥‥
そんなさりげない優しさ。
司君はあたしにとって、ホッとする温かさをくれる人だった。

誰もいない静まりかえったホーム。

「あのね‥‥」

あたしは電車がくるまでの間、お母さんの話をした。

そして‥‥

「で、美馬はどうしたいんだ?」

司君は、最後にそう聞いてきた。
お母さんが良いんだったら‥‥‥
歯切れ悪く答えたあたしに、司君はもう一度言った。

「美馬は、どう思ってるんだ?」
「あ‥‥あたしは‥‥‥」





その人には、子供が居るって聞いた。
男の子と女の子‥‥‥まだちっちゃい子らしい。

顔合わせは、市内の中華料理屋さんですることになった。
あたしは、いつもは着ない服を引っ張り出した。

「初めまして」
「娘の美乃です‥‥‥」
「‥あ、あの、か、春日です‥‥‥‥」

その人は、ちょっとやせてて、頼りなさそう外見。
お母さんじゃなくても、心配になってくる。
あたしみたいな子供相手に、凄く緊張している姿を見て
なんか、微笑ましくなった。

そして、テーブルの端でじっとあたし達の事を見つめる子供達。
彼らが、太平君と洋子ちゃんなんだろう。

「こんにちはっ」

しゃがんで目線を合わせる。
そうした方が、相手の表情から気持ちを察することが出来るから。

「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「‥‥こっ‥‥こんにち‥は‥‥‥」

太平君は、もじもじとなにか小さく言った。
洋子ちゃんは、応えてくれたけど、お兄ちゃんの後ろに隠れてしまった。

かわいい。
この子達が、あたしのきょうだいになってくれるのかな‥‥

「あたしは美乃‥太平君、洋子ちゃんだよね?」
「‥‥‥う‥うん‥‥」
「‥‥は‥い‥‥‥」

とっても素直な2人。
きょうだいの居なかったあたしにとって、不思議な感覚。

「美乃、座りなさい」
「はーい」
「んじゃ、一緒に座ろっ?」

2人をテーブルへ促そうとしたとき、子供達があたしの手を
ぎゅっとつかんでくる。
その瞬間、あたしの胸が愛おしさでいっぱいになった。





司君は、あたしの顔を見つめて答えを待つ。

あたしは‥‥自分の意志ってものが弱いのかもしれない。
人に合わせることに、あんまり抵抗とかを感じない。
だから、お母さんがよかったらって‥‥言ってしまった。
いつも‥‥相手の幸せな顔を見てるだけで‥‥あたしは、
なんか満足しちゃうから。

でも、今度のことはお母さんだけの問題じゃない‥‥
一緒に暮らすあたしにも関係あること。

その事を司君は‥‥‥‥

あたしは、自分の胸に浮かんだ言葉をぽつりと言った。

「仲良く‥‥‥できたらいいなっ」

司君にとって、望んだ答えじゃないかもしれない‥‥‥‥

でも、司君は微笑んだ。
あたしも、照れくさくなって笑う。

「‥‥‥できるよ美馬なら‥‥だって‥‥‥‥」

電車がやってきた。
ホームに滑り込む車両の音に、司君の最後の言葉が消される。

でも、口の動きで何を言っているのか‥‥わかってしまった。

違うよ‥‥司君。


全然優しくなんか‥‥‥ないよ。


あたしは心の中で応えた。

その瞬間‥‥‥‥

!!


ぽん と頭に手が載せられる。

「つ‥‥司君‥‥‥‥‥」

ぽんぽんっと、軽く頭を撫でられる。

「やっ‥‥やだ‥‥‥」

電車のドアが開き、降りてくる人達が不思議そうな目で見ていく。

「司君‥‥‥」

悲しくもないのに‥‥涙がこぼれてくる。

司君の手が温かいから?

それとも‥‥

あたしは恥ずかしさのあまり、彼の顔をまともに見られなくなった。


何も言わずに、あたしの頭を撫でる司君。

そんなことはない‥‥‥そんなことはないよ‥‥‥‥

そう言って、あたしを慰めてくれているようだった。



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