「ミオリちゃーん！」

おうちの縁側で、日課のひなたぼっこをしていたわたしに、教会のシスターでお友達のマリーちゃんが、少し慌てたように駆け寄ってきて……転びました。

「ああっ！　マリーちゃん、大丈夫っ！？」

わたしは慌ててマリーちゃんに駆け寄り……つっかけをうまく履けず……転んで、わたし達のおでこがごつんという音を立てました。
ぐわんぐわんという音とひよこさんが目の前を回ります。

「ま、マリーちゃん、ごめんなさい……」
「う、ううんっ、私こそ、いつもいつもゴメンね、ミオリちゃん……」

涙目でふるふると頭をふり、えへへと笑うマリーちゃん。

「なんだかわたしたち、いつも転んでるよね……」
「うん……私、今日で３回目……」
「わたしは２回目、かな……」

そう言ってから２人、顔を見合わせ笑いました。
端から見たらおかしな風景かもしれないけど、わたし達にとっては日常だから、笑いがこぼれて止まりませんでした。
ひとしきり笑いあった後、縁側に座り、わたしは急須に残っていたまだ熱いお茶を差し出しだしました。
それを受け取り、ありがとうと笑って、マリーちゃんはゆっくりお茶を飲みました。
それきり黙って空を見るマリーちゃん。
わたしも空を見て、少し強めの風に流れて形を変える、大きな雲を眺めました。

わたし達の出会いは、ずっとずっと昔の事です。
お買い物の帰り道、教会前で同じくお買い物帰りだったマリーちゃんとぶつかって、２人でわんわん泣いたのが始まりでした。
その時はシスターになだめられ、すりむいた膝の治療をして頂いたそうですけど、実はあまり覚えていません。
ただ、わたしと同じ年頃の女の子と知り合えた事が嬉しくて、治療中ずっと２人でお話ししていたそうです。
それ以来、わたしにとってマリーちゃんは、親友と呼べる存在になりました。
でも……。
マリーちゃんが無言で、じっとわたしを見つめています。
わたしはその顔を見る事ができずに、うつむき、握った両手を見つめました。
流れる雲。流れる無言の時間。心地よい風が髪を揺らし、通り過ぎていきます。
でも、わたし達はずいぶんと長い間、無言でした。

「……なんで、相談してくれなかったの……？」
「……………………」
「さっきね、シスターに聞いたの……ミオリちゃんがこの街を出ていくって……」
「……………………」
「本当、なの……？」
マリーちゃんがわたしを見つめ、ゆっくり聞きます。
わたしはうつむいたまま、答えました。
「先週ね、偉い魔法使いの先生が来たんだって。その先生が、わたしに力を貸して欲しいって。わたしはおつかい中で直接会えなかったんだけど、来週また、来るからその時までに返事を決めておいて欲しいって」
「それで……ミオリちゃんは……」
「うん、行く事に決めた……」

おずおずと聞くマリーちゃんに、わたしは答えました。
マリーちゃんが小さく息を呑むのが分かります。
でも、わたしは……返事をする事ができませんでした……。

「なんで……そんなに急に、こんな大切な事を決めたの……？　一昨日会った時はそんな事、なにも言ってくれなかったよ……？」

マリーちゃんの視線はわたしに向けられたままでした。
でも、わたしはうつむいたまま、絞り出すようにこう、返事をしました。

「決めたのは、昨日なの……」
「そんなの関係ない！　なんで話してくれなかったの！？　私って、ミオリちゃんにとってその程度の存在だったの！？」
「違うよ、マリーちゃん……大切な人だから、話せなかったの……」

私はゆっくり顔を上げ、マリーちゃんを見ました。

「わたしね、マリーちゃんってすごい子だと思うの」
「えっ……？」
「マリーちゃんと初めて会った時から、わたしはマリーちゃんの事、すごいと思ってたの。だって、わたしと年は変わらないのに、１人で教会のお仕事をして、今はシスターになって、あんな大きな教会を１人で守ってるなんて、わたしにはできないよ」
「そ、それは、だって……」
「マリーちゃんは立派なシスターになって、この街の人たちの心の支えになってる。でもわたしは……取り柄もなにもない、頑張ってもなにもうまく行かない、迷惑ばかりかけるだけの存在だから……」
「そっ、そんな事無いよっ！　私はミオリちゃんと出会って幸せだったもん！　ミオリちゃんがお友達になってくれて嬉しかったもん！」
「わたしだってそうだよ……でもね、それじゃダメなの、ダメなんだよ……」

わたしは、わたしの手をぎゅっと握るマリーちゃんの潤んだ瞳をじっと見つめました。

「わたし、ドジでしょ……？　今でもよくお皿を割るし、なんでもないところでもよく転ぶし、お砂糖とお塩も間違えるし……」
「それは私だって同じよっ！　私なんかこの前、井戸に落ちて、必死に這い出したら幽霊さんに間違えられたしっ！」
「わたしなんか、遅刻寸前で食パンかじりながら曲がり角で男の子とぶつかったよっ！」
「私は昨日、教会の屋根から落ちて、そのまま一晩中木に引っかかったままだったっ！」
「さっき、お魚くわえたネコさん追いかけて裸足で街中走ったっ！」
「う、さすがはミオリちゃん……」
「マリーちゃんだって……」
「でもね、そんなわたしにも、できる事があるみたいなの。わたしって、伝説の魔女の血が流れてるんだって。だから、すごい魔女になれる資質があるんだって……」
わたしは、涙がこぼれ落ちそうになるのを必死に堪えて言いました。
今、わたしがしたいことを。わたしの一番大切な人に言いました。
「魔女になれば、みんなを守る事ができるかもしれない。今は平和なこの街を守る事ができるかもしれない……」
「ミオリちゃん……」
「戦争、また始まったんだよね。遠いところでだけど……でも、いつ戦火が来るかも分からないから……」
「だからわたしは、なりたいの。魔女になって、みんなを守る力が欲しいの。お父様も、お母様も、お婆様も……マリーちゃんも、街の人も、世界中のみんなも……わたしにできるかなんかわからないけど……」
「マリーちゃんみたいな力はないけど、他の事でもみんなを守れるなら……その力が欲しいなって、思うの」
「ミオリちゃん……」

マリーちゃんの手に、力がこもります。
そして、小さく、小さくこう言いました。

「ヤダ、ヤダよ、私イヤだよ……」

突然マリーちゃんがしがみつき、わたしの身体をぎゅっと抱きしめました。
「行かないでっ、魔女になんかならなくてもいいじゃない、私……ミオリちゃんと離れたくないよぉ……！！」
「マリーちゃん……」

私にしがみつき泣き出すマリーちゃん。
いつも元気で笑顔しか見せないマリーちゃんが泣いたのは……あの時以来だと、思いました。

わたしはそんなマリーちゃんを抱きしめて、一緒に泣きました。
ずっと、長い間、泣きました。

「……ゴメンね、色々無理な事言って」

泣き疲れたわたしたちは、泣きはらした顔のまま向かい合い、えへへと笑う。

「私……ミオリちゃんが思ってるより、強くないよ」
「え……」
「私ね……捨て子だったんだって。雪の中、教会の前に捨てられていたのが、私。神父様に拾われて、それからずっと、教会だけが私の居場所だった……。名前はマリア様からもらったの……だから、マリー……」
「ま、マリーちゃん……」
「ミオリちゃんと出会うまで、私は１人だった……。ミオリちゃんが私に出来た初めてのお友達……。ミオリちゃんのおかげで、私はここまで頑張れたの……。私は……１人じゃなにも出来ない、弱い人間だよ……」
「わたしだって、そうだよ、マリーちゃん……。マリーちゃんがいてくれたから、わたしはわたしでいられたの……」

わたしは、マリーちゃんに言いました。

「わたし、約束するよ。なれるか分からないけど……。頑張ってみる。マリーちゃんが頑張っていた姿見ていたから、負けられないもん」
「私だって負けないよ、絶対、立派なシスターになってみせるんだからっ」

差し出される小指。
わたしはおずおずとその小指に自分の小指を絡めて、ブンブンと力強く振りました。

「約束したよ、ミオリちゃんっ」
「もしかしたら、立派なお婿さんを見つけているかもっ」
「それじゃ、修行には５０年くらいはかかるねっ」
「あー、マリーちゃん、ひどい～」
「ご、ゴメンゴメンっ、あはははっ」
「ふふふふっ」

マリーちゃんがわたしを引き寄せ、抱きしめてくれました。
わたしもマリーちゃんの細い身体を、ぎゅっと抱きしめました。

「……絶対、帰ってくるんだぞ？」
「うん……っ！」

わたしたちは抱き合ったまま、笑って、泣きました。
それは、空に浮かぶ大地で魔法を学ぶ事になる、数日前の刹那の出来事。
でもそれはわたしの心の中に大切な宝物となって、今も残っています。